カバカサマ 源 範頼の墓を訪ねてみたいと思ったのは、この一枚のスケッチを見たからです。昭和12年に安達氏が描かれたもので、平成の今、果たしてどのようであるか、大変興味のあるところです。日吉姫の墓のスケッチとともに、安達氏の書かれたものを一部以下に、ご紹介します。

東庄境北方には古墳の跡らしい洞窟が、雑木に蔽われて茂っているその中に五輪塔の破片らしい三個の丸い石が積んである。これが所謂範頼の墓所なのである。

古老の言によれば元この地は高く土を盛って中を空洞として狐狸が通うばかりの穴があって、中を覗いても暗くて全然判らない。往古よりカバカサマ(蒲墓様)と稱して村人の畏敬して居たものであった。日吉姫の墓

然るに明治の中葉浄円寺の住職不在の事あり、その留守僧として同寺に来て居た九州の人菊池何某という僧人夫を督して村人の反対を排して之を発掘してしまったのであった。此れゆえに蒲墓様は白日の下に曝されたのであるが、この付近には珍しい大きい割り石を以って洞を組み土を覆ふたものである事が始めて判明した。

これを以って範頼の墓所と断定する事は出来ないけれども、伊豆においてすら数年前まで不明であった彼の墓所が、数百年来この庄境にあった事は大いに問題とし得ると考えるのである。この洞窟は彼の墓所として築いたものではなくて、より古い古墳であるかも知れない。然し乍らここに之を記さなければならない所以は、往古よりカバカサマ(蒲墓様)と言傳へ畏敬した点であり、浄円寺とこの墓所との関係からでもある。
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