源範頼の墓から出土した太刀と椀

範頼公太刀 範頼公椀



 源 範頼が越前へ落ち延びたのは、妻の日吉御前の計らいであり、今立町東庄境、朽飯一帯が日吉御前の父、越前三位通盛の領地であったからと言われています。東庄境の300メートルばかり東にある小高い山を山王山と言います。範頼はここに居を構え、村人に農業を励まし、妻日吉御前は自ら養蚕に努め村民の指導にあたったと伝えられ、この山をおしろ山とよんでいます。この附近には、山王花、堂屋敷、道場田、八番田の地名が残っています。

越前城迹孝によれば、「東庄境より五町」許子の山上に東西方間南北五間許りの新堀切あり、三間許四方の掻揚櫓台二十六ヶ所あり、時代事跡詳ならず」とあり、何か関係するやも知れません。範頼の墓は昭和初期に発掘され、そのとき、一振りの古刀とうるし塗りの豪華な「椀」三つが出土し、一見して高貴な人物の食器類であることがわかります。この食器の主が「お蒲様」、範頼その方であると言われています。
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