てんぐ 天狗と言えば、芥川龍之介の「鼻」を思いだします。禅智内共(ぜんちないぐ)の長い鼻に苦労する話はユーモラスの中にもいろいろ考えさせられた記憶が。そしてもう一つは水戸「天狗党」です。

『元治元年12月8日。水戸正義党の領袖、前の太夫武田伊賀守正生等の徒1500余名、雪中馬進まざるの折柄を冒して、郡の上池田なる宿営より発して道を粟田部に取り西上するあらむとするや。福井、府中、鯖江の各藩よりは、兵を出して村および近郷一帯の地に備ふ。』

 尊王攘夷吹き荒れる中、武田耕雲斎を首領に、元治元年11月1日茨城、大子(だいご)を発った天狗党が京をめざし、慶応元年2月4日敦賀(つるが)の地に最後を遂げるまでの苦労の過程は今日知るところで、これも天狗の面のおかげかと思います。

 老若男女、いろいろな職業取り混ぜた、この天狗党が進む姿、特に豪雪地帯である池田での行軍は、その雪の程を知っているだけに目に浮かぶものがあります。また村の方達が厚くもてなした様も知りました。
テング
武田耕雲斎62年の生涯、その辞世は

  討つもはた討たれるもはた哀れなり
          同じ日本の乱れとおもへば

明治22年5月、武田耕雲斎とその同志は東京九段の靖国神社に合祀されたそうです。

 今日、修理依頼の天狗の面が完成。全て本漆、手塗を綿密に行なったため、2ヶ月もの間、天狗の顔を見ながら過ごしたことになります。偶然でしょうか、この天狗の面の裏には、施主の名と共に「明治22年奉納」と大きく墨書されています。

2005 8/20

参考資料
男大迹部志(粟田部)
水戸『天狗党』通行にかかる諸記録(池田歴史の会)
天狗党が往く 公武敏郎(秋田書店)
天狗党血風録 杉田幸三(毎日新聞社)

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