book ここに「続 福井の意外史」という一冊の本があります。当時読売新聞福井支局の記者が取材執筆されたものです。

 この中に「生きていた範頼」という一章があり、現場に足を運んでの詳しい取材と考えが述べられています。昭和50年始め頃のことだと思われ、範頼の子孫のことも書かれています。

 範頼が越前へ落ちのびたのには、妻の日吉御前の誘導であった。日吉御前の父、越前三位道盛卿の領地が、当時、今立町東庄境、朽飯一帯にあったのも有力な証拠。

 東庄境、真宗浄円寺住職、蒲之坊卓勝さん(63)は、範頼から数え二十七代目の子孫と称する人である。同寺に伝わる話によると、範頼は日吉御前と朽飯地区の居館で平和に暮らし始めて間もなく、一年後の建久五年に死んだ。日吉御前は「浄円院日吉禅尼」になり、建永元年(1206)三月十日、三十五歳で死亡。長男良円が頼国法師という僧になり、代々、世襲によって同寺の住職を務めてきたという。

 何よりの強みは、蒲姓を名乗る家が両地区に十軒もあり、これら子孫達の中から、蒲陸軍中将(昭和六年)を出し、範頼の再来と、地区の人たちが自慢にしていることだろう。

と、このように結ばれています。

 浄円寺の蒲之坊卓勝ご住職とは何度かお話をしたことがあり、大変実直な方であったと記憶しています。数年前他界されましたが、現在はそのご子息が跡を継いでおられます。

戻る