弟を討つことはできない

源 範頼の木像は浄円寺本堂左余間段上に安置されていました。


 高さ80センチ
 袖を張った横幅90センチ
 幅80センチ
 高さ15センチの台座の上に座す

源範頼 木像
大きな画像

 安達氏の検証によれば、既に数百年を経たもののように、文字通り古色蒼然としたものである。数個の木片を組み合わせたもののようで、特に分解散逸寸前である。衣類の彫刻などは粗雑であるが、顔面や手等の彫刻はすぐれ生けるが如しと言える。この像は確かに範頼を写しているとも思える、と書かれています。私の感想も全く同じであり、特にそのお顔から溢れ出る気品のようなものに深く打たれました。

範頼は、源氏の九代目頭領 源義朝の六男として、静岡県浜名湖に近い「蒲御厨(かばみくり)」で生まれたので、出生地を取って「蒲の冠者」と呼ばれたそうです。生年不詳ではありますが、義朝が仁平三年(1153年)に池田宿滞在の折できた子とされています。頼朝と同じく熱田神宮大宮司、藤原季範に養育を受け、治承四年(1180年)兄頼朝挙兵に伊豆に駆けつけています。弟、義経とともに、木曾義仲を討ち従五位三河守に任ぜられます。

壇の浦での平家追討の源氏総大将をつとめましたが、華々しい弟、義経の戦功に隠れた感じがあります。しかし、義経が鎌倉幕府反逆の罪に問われ、兄頼朝から義経追討を命ぜられましたが、「弟を討つことはできない」と断固刎ねつけた為、頼朝の怒りをかってしまいました。

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