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花筐(かきょう)公園・桜ともみじ
能
 春は桜に秋もみじ、日本の典型的な自然美がここ越前市粟田部(あわたべ)町花筐公園にあります。花筐公園を有する粟田部町の名前はいにしえ、継体帝が「男大迹王子(おおとのみこ)」といわれていたところから、「男大迹辺の里」ついで「大迹部(おおとべ)」そして養老年間に「粟田部(あわたべ)」となづけられたのだといわれています。越前には、大和朝廷で強い勢力を持っていた「粟田臣(あわたのおみ)」の一族が住み、その私有地を「部(べ)」といったところから「粟田部」となったのではないかとも考えられています。「古事記」などによると、大和から越前にかけて春日、粟田の一族から、開化、応神、反正、雄略、仁賢、継体、欽明、敏達などの皇妃が出ており、大和朝廷と密接な関係を持っていたとされています。また謡曲「花筐(はながたみ)」は王子の形見として植えられた「薄墨桜(うすずみざくら)」を主題とし、この桜は「皇谷山」という地名にあり、皇子が誕生された場所は「皇子が池(おうじがいけ)」と称され今に残っています。また初春、男大迹王子を偲び山車を曳きまわす「蓬莱祀(おらいし)」、秋には「迹王の餅(どおのもち)」などの神事が継承され「継体天皇」と「粟田部・花筐公園(かきょうこうえん)」のつながりは大変深いものがあります。

能

 平成18年(2006年)8月6日午前10時、越前薪能開演を静かに待つ越前市粟田部花筐公園。能舞台掃除の手伝いをしながらの撮影。10枚の写真合成による花筐公園能舞台からのフォトです

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