粟田部警防史
奈良 708 奈良時代にかけて安治麻野(*あじまの)の粟田部村においては災害の記録なし
明治六年の大火後、
火消し自衛組織六社結成

友眞社、丹誠社、明眞社、
天誠組、義正社、明治組
養老元年 716 泰澄大師 岡太神社、粟生寺、千福寺、佐山寺を開基
天平勝寶 749 蓬莱祀再興の記録あり 町内百戸内外あり町内繁盛
延長三年 757 大地震大山津波あるが、当町被害の記録なし
正應元年 1288 大雨の為、山崩れあり鹿ノ浦の成願寺が潰れる。永仁年間(1284年頃)に團子田に再建立と、また永禄年間の大洪水に見舞われ元亀か天正年間に團子田に建立とある。天正八年岩本の玄信寺を成願寺と寺号を変えて引き移すとの記録あり。鹿ノ浦の端正寺焼失し南坂下に移る。
天正元年 1573 信長が一向一揆討伐、府中、北の荘一円攻略のため、近隣の岡本地域社寺焼却大滝寺四十八坊焼失。正言寺、荘厳寺(善玖寺の前身)、万福時、千福寺、百福寺など兵乱にかかり焼失か。
天正六年 1578 一向一揆か兵乱により了慶寺、薬師堂全山焼失す。
天正一七年 1589 蓬莱祀再興(嘉永六年歳暦記による)
寛文二年 1662 大火、かじ村を除く粟田部の三分の二を焼失、粟生寺は残る。
享保七年 1722 出火、本町にて止まる。十王堂、舟橋町など三百軒焼失。感應寺、法音寺は焼けず。
寶暦四年 1754 大落雷あり天神の森に落雷。「我が森に落ちるとも我が氏子の上には落つるな」と「雷よけの天神」の伝説あり。
寶暦六年 1756 水間谷、服部谷の百姓一千人が百姓一揆、粟田部村内大騒ぎ。
寶暦一二年 1762 武生市街地三ヶ所より出火殆ど全滅。
寶暦一三年 1763 粟生寺の火災、寺内の天神堂、経蔵、鐘楼は難を逃れる門は朝倉一乗谷城址より引き移したもの、難を逃れる。
天明七年 1787 有史以来の大飢饉、米価一俵四十五匁で最高、木の実、草の根、根絶。粟生寺、感應寺で救助所を設ける。餓死者
寛政八年 1796 出火、本町、舟橋、仲佐山、四十四戸焼失。
寛政一二年 1800 下二日市より出火二十二戸焼失。
文化一〇年 1813 大雪五尺降る、その上五尺六寸降り二階の窓口より出入り、商家は二階で商売。
文化一二年 1815 大洪水あり。
文政二年 1819 六月大地震あり春からの好天気急変。
文政八年 1825 豪雨、願望橋(含砂)流れる、火打ヶ端一帯より沖田泥海と化す。次年春も大雪となる。
天保四年 1833 九月二十日の夜「蓑蟲(*みのむし)騒動」身に雨具の蓑を附け一列か数列になり、あたかも蓑蟲に似ておる。岡本町より押し寄せ舟橋、仲佐山の米屋を襲い加害戸数八十九軒を大破。
天保五年 1834 馬場の大火、馬場、谷川合わせて十六戸、天神二十戸、山ノ寺、泉福寺、秋葉宮、金比羅宮、天神社、三町四十一戸焼失、ほか山林を焼く。
天保八年 1837 天保の大飢饉、連年の凶作にて木の根、草の根、川の藻すべてを食べ尽くす。米価表三十二匁から百三十五匁に狂騰悪疫流行、浮浪非人二百五十人、餓死者日に五、六人あり、伝染病も発生。
弘化三年 1846 大風吹き、粟田部四十三軒潰れ死者三人。
嘉永五年 1852 府中に大火あり、千数百戸焼失、死者百人ばかりあり。
安政五年 1858 悪病大流行、重野医対処す。
慶應二年 1866 台風、大洪水多くの橋流失、大被害あり郡奉行被害調査せり。
明治二年 1869 出火、上谷町、本町、大門、四町三十二戸焼失。
明治六年 1873 暴論家騒動、断髪令発布と西洋人の真似をして仏教を廃すると早合点し、河田地方の佛徒の暴動の徒大挙「南無阿弥陀仏」の旗を立て、焼き討ちあり。
四月四日、癸酉の大火、岡本町より出火、東南の風強く不老道、仲町、大町、舟橋、仲佐山、馬場、谷川、本町、総戸数五百七十戸のうち四百七戸、八百三棟を焼失、神社仏閣大半焼失。消防支援遅くまた少なく火は自由奔放に拡大。被害総額百万円に至らん。村の商業不振破産者続出、衰退厳しい。大火対応策として火防組を組織する。
明治二四年 1891 濃尾の大地震、被害、屋根落石百数十戸、全壊八戸、半壊七十戸、大町、仲町、岡本、新橋、舟橋、本町、二日市甚大。
明治二八年 1895 三百年来の大洪水、鞍谷川、月尾川大氾濫多数の家を押し流す。堤防決壊し富永町、新橋、泥川の橋流失、床上五尺に達す。交通杜絶し山崩れ、神社、寺院、花筐公園など粟田部一円民家埋没被害甚大。
明治三三年 1900 椀力喞筒二台購入
明治三六年 1903 武生町大火千五十六戸焼失
消防組員倹約して岡太神社本殿前に狛犬を献納
大正二年 1913 武生町大火七百戸焼失、南越線、自動車、自転車もない時代歩いて消火救援活動。
大正九年 1920 本町に鉄製の火之見櫓を新設、昭和二年の大火後昭和五年本町の川街道拡幅のため瀬戸川畔に移転。
蒸気喞筒浄財寄付金により購入、南越座において購入披露式、余興に芸妓総出演の手踊りにて祝う。
大正一二年 1923 関東大震災
大正一三年 1924 日出織物の乾燥場より出火一棟にて鎮火。
大正一五年 1926 十一月定友製紙工場より出火、蒸気喞筒威力を発揮、購入以来の殊勲。
昭和二年 1927 積雪六尺五寸、公共建築物危険にて花筐校、公会堂、役場雪下し。
四月二十一日、丁卯の大火、粟田部駅周辺、來耜町近くより出火。粟田部劇場に引火、ラジウム鉱泉浴場に引火、烈風に煽られ了慶寺に炎上、西山、谷町、八幡町、大門、本町を焼払い、圓正寺、教順寺、本願寺派説教所、幼稚園、善光寺掛所、花筐校全部、粟生寺等を一舐めにし、岡太神社の大鳥居を半焼せり。神社仏閣公共施設など、焼失戸数百六十三戸、総棟数二百十八戸、被災者六百五十八、被害総額百八十万円と見なされる。六月、瓦斯倫(*ガソリン)喞筒車購入、蒸気喞筒車は時間を要するため総代会一致にて購入、代金千百円。
昭和五年 1930 金馬簾(*きんばれん)授与、粟田部消防組の多年の功績を表彰される。
昭和一〇年 1935 自動車喞筒購入。寄付金募集。
昭和一五年 1940 粟田部警防團