粟田部城跡


行司(事)ヶ岳城ともいいます

三里山の春を楽しみましょう

三里山の頂上(標高317メートル)には粟田部城が昭和50年代に発見されています。この城は行司ヶ岳(三里山南西部)の頂上尾根にあり、北東から南西に500メートルに渡り多数の郭が構築されていました。

城の特徴は、尾根の稜線にはあまり手を加えずに郭間の連絡道とし。頂部斜面の東、西側に多くの郭を配置していることです。粟田部城は、江戸時代には、その城名しか伝わっていなく歴史から見れば最近蘇った幻の山城といえます。

『類聚越前国誌』にある粟田部城は、「権現山の西にあり」とあり、行司ヶ岳城の位置とうまく合っており、この二つの城は同一のものであると考えられるようになりました。それによれば、「越前朝倉氏一族の朝倉出雲守景盛の櫨なり。影盛刀禰坂に戦死して、城廃す」とあり、このことによって、朝倉出雲守景盛の居城であったことが窺えます。

粟田部においては、「大馬場」「御殿地」などの字名が、山麓部にあり、この辺りが景盛の居館ではなかったかと、言われています。粟田部城はこの居館のことを言って、山城を行司ヶ岳城と呼んだのかも知れません。

粟田部城は、その位置からして、大滝寺や朝倉氏本拠一乗谷館へ至る要所としての押さえの意味からも、大規模な城を構え一族を配したと考えられています。いずれにしても、このまだひっそりと知られていない幻の城跡を縦走してみてください。

朝倉一門の重臣朝倉出雲守影盛と粟田部の宝「薄墨桜」はこちらから

http://www.awatabe.com/awatabe3.htm



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