信教の自由と政教分離

 現行憲法の宗教に関する直接的な条項は二つあり、信教の自由を記した第二十条と、公の財産の支出又は利用の制限を記した第八九条とがある。第二十条の条文にあるところの、信教の自由を何人にも無条件的に保障される為にも、宗教団体は国からの特権を受けたり政治上の権力行使を禁じられている。

 すなわち、この政教の分離と信仰の自由はまさに表裏一体の関係であることを憲法がはっきり明定している。何故このようなまでに具体的憲法条文が必要であるかについては国家と宗教とのこれまでの歴史的背景に起因している。

 信仰の自由の核心には次の三つがある。個人における内心の自由を保障する「信仰の自由」宗教行為をする、しない、など個人の意志を尊重する「宗教行為の自由」宗教に関する集会や団体の目的などもまた自由であるべきであり、「宗教上の集会・結社の自由」が認められている。

 このような現在では当たり前のように考えられ事柄ではあるが、これらの自由が抑圧されたらどうなるか、よくよく考える必要がある。戦前に於いても、「大日本帝国憲法」の第二十八条では「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務に背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」とあり、不完全ではあるが信教の自由と政教の分離は保障されていた。昭和一四年の宗教団体法による認可主義 戦後GHQによる自由指令、神道指令、宗教法人令など次々発せられた宗教政策によって、それまでの神社神道の優越的立場は消滅し、政教の分離が完全となった。

 国家はいかなる宗教、宗教団体に対しても平等でなければならず、政教分離の原則は信教の自由と相まって、国民の宗教生活を保障する大原則となる。もしこの政教分離の制度が損なわれたなら、私達の宗教生活は大きな闇に沈むこととなることを覚悟しなければならない。
c 千秋