宗教とは何か

 私たちの町には、たくさんの寺院や神社があり、知らずの内に深い関わりを持って生活している。初詣に始まり、お盆やお彼岸、お墓参り、そして除夜の鐘音で一年を締めくくるのだ。「自分は無宗教である」と言う人も決して珍しくはない。しかし、その方たちも、やはり、お正月を祝い、お祭りを楽しみ、先祖のお墓参りに出かけたりする。このように、お葬式や法事、地鎮祭やお守りなど「宗教」と呼ぶいとなみを数えればきりがないと言える。「宗教」「宗教的なもの」と全く関わりなく過ごすということはありえない。そこで「宗教」とはいかなるものか、人間生活の中での役割と意味を考えることが大事である。

 宗教を研究する学問には「神学」「宗教哲学」「宗教史」「宗教学」があり、「宗教学」には宗教心理学・宗教社会学・宗教人類学・宗教民俗学・宗教考古学等が含まれる。宗教のいとなみの全体を客観的に眺めながら宗教とは何かを考えていくことが大事なことである。

 さて、「宗教」という言葉は、仏教の枠の中で使われてきた言葉であるが、日常もっと広い意味で使われている。「宗教」という言葉の社会通用は、明治初年から十四・五年以後で、Religion (レリジョン)の訳語がある。Religion の語源はローマ時代から定説がなく、キケロは「厳粛に執行される儀式」ラクタンチウスは「神と人とを再び結びつけること」とそれぞれ主張しているが、宗教とは何かという問いへの明確な答えを得ることは不可能なのである。

 「宗教とは何か」と言う問いに多くの先人たちがそれぞれの宗教観を発表している。大別すれば二つに分類される。その一は客観主義の宗教観であり、宗教の外面を客観的に観るものだ。この観点に立つ宗教観として、教団中心の宗教観・教義中心の宗教観・儀礼中心の宗教観がある、その二は、主観主義の宗教観であり、これは信仰といったような心の内面の問題として宗教を考えるものである。最高窮境の真理・心の知的な働きの面で宗教を見る「主知主義の宗教観」絶対帰依の感情、人間の心の感情面に中心をおいて宗教を観る「主情主義の宗教観」神の命令として善をなす、心の意思の働きの面に中心をおいて宗教を考える「主意主義の宗教観」がある。みなそれぞれに正しい見方であり、宗教の一つの側面を的確にとらえてはいるが、すべてをおさめつくしてはいない。

 宗教は客観的にもとらえることができるが、知的な面、感情の面、意志の面などそれぞれの視点に相違や特徴が生じる。「宗教」とは一言で完全に定義づけることのできない複雑なものであることを示している。それだからこそ、「宗教とは何か」をたえず追い求めていかなければならない。

c 千秋