宗教の存在理由 

 宗教の存在理由を考えるにはまず、人間の本能について深く考えなければならない。本能とは「動物の種に比較的特有であり、しかも生理的な個別的経験とは関係のない、比較的固定的傾向の特性」を指す言葉である。代表的なものに、「自己保存の本能」「種族保存の本能」「適応・発達の本能」の三つがある。例えば赤ちゃんの持つ能力と欲求である「基本的欲求」から始まり、より快適な生活を求める「文化的欲求」それに付随してくる悩み、不満、苦しみなどの多くは未解決のままであり、最後に人間の力ではどうすることもできない「老いと死」に直面することとなる。この人間の力で順応することのできない場面での高度の順応とも呼びうる特殊な営みを「宗教」という言葉で呼び、そしてこれらの問題を解決することのできる唯一のものが「宗教」なのである。

 イギリスの人類学者マレットは未開社会の宗教研究から「宗教は人間社会の危機に根ざす」と指摘し、未開社会の危機の連続を解決する道こそ宗教であると結論づけたのである。「もうどうにもならぬ、どうにかしたい」「もう助からない、何とかして助かりたい」それが偽りのない人間の本心であり、その祈りをかなえてくれるものがあるとすれば、それは人間以上のものの力である。人間以上のものとは何か、もはや人間の思議のおよばぬ問題であり、答えられるのは、人間ではなくて、人間以上のものそれ自身なのである。

 かっては人間には宗教的本能があると考えられてきたが決してそのようではない。人間の存在そのものが危機であり、人間の危機は人間であることそのものに根ざしている。そしてその危機のなかで人間を超越したもの、その危機を脱却するいとなみをさして「宗教」と呼ぶ。人間のいとなみとしての「宗教」が「私の宗教」として私のいとなみになるかのカギがそこにある。
c 千秋