東南アジアにおける仏教
                  
 スリランカの仏教は紀元前二百五十年頃、アショーカ王が王子マヒンダをスリランカに派遣したことによるサンガ(教団)の誕生に始まる。聖典書写が行われ、仏教聖典が初めて文字として書きあらわされ、パーリ語三蔵が成立した。大寺派と無畏山寺派の分裂などを経て後、五世紀にインドからブッダゴーサが来島し、大寺の仏教は盛んとなる。これがミャンマーやタイに伝えられて南方仏教の基盤となったのである。

 ミャンマーの仏教は、十一世紀アノータラ王に始まるバガン王朝の保護を受け繁栄する。「仏寺建立王朝」と言われたほど、ミャンマーの仏教の特色は仏塔信仰である。十九世紀から独立するまでイギリスの支配を受けた。現在、男子は必ず一度は出家修行し、国民の九十パーセントは仏教徒である。

 カンボジアの仏教は、紀元前一世紀インド人による扶南国にヒンドゥー教と共に伝えられたのが始まりで、後、密教的な大乗仏教が広く普及した。十二世紀につくられたアンコール・ワットは現存するクメール芸術の代表的建築物である。十四世紀タイ国の侵攻を受けその属国となり大乗仏教は滅ぶこととなった。

 タイの仏教は、十三世紀中国からのタイ族がスコータイ王朝をたてたことに始まる。十四世紀アユタヤ王朝がおこり、タイ族はインドシナ半島の最大勢力となり、十八世紀にはタイの仏教がスリランカへ逆に伝えられるほどであった。タイの仏教は南方上座部仏教の中で最も組織化され、国民の九十四パーセントが仏教徒であり、男子は一生に一度仏門に入る慣例となっている。

 インドネシアの仏教はジャワ仏教に特色がある。ヒンドゥー教のシブァ派と混合した仏教であり、シブァ神と仏陀は本質的に同一のものであるとの思想による。十五世紀、イスラム教の進入によってジャマン・ブドの仏教はバリ島にのみ残り、こうしてインドネシア諸島から仏教は姿を消し去ることとなった。
c 千秋